終戦の日あれから74年日本に帰ってきて

やっとコレラも収まって家族が郷里に帰れる日がきました。

一人1000円づつ持って船に乗った兵隊さんは、

郷里に帰るだけの旅費があればと500円全員返してくれたそうです。

別れの時全員の兵隊さんは「おじさんとおばさんに何かあったら必ず行きます」
そう言ってくださって別かれたそうです。

ヒーお婆ちゃんはその時東京へ帰ろうか、富山に帰ろうか迷ったそうです。

東京は焼け野原と聞いてたのでヒーお爺ちゃんの実家富山に帰えることにしたそうです。

満州ではおばあちゃんと妹は置いていきなさいと中国の方に勧められたそうですが、
ひーおばあちゃんは、日本へ帰って、もし死ぬのならみんな一緒にと
そういって帰ってきたそうです。

残留孤児ですね残して来たら。

のちのち残留孤児が日本に帰ってきました。

ヒーお爺ちゃんの実家は大きな農家です。

そこにたどり着いて、おにぎりを食べた時おいしかったそうです。

その日からしばらくその田舎で暮らすことになり、おばあちゃんはそこの小学校へ

お姉さんはすぐ先生の口もなくしばらく事務をしてたそうです。

先生に復帰するには、満州時代の校長先生の証明がいるとかで

引き上げ者の名簿を調べたそうです。
やっと見つけ、お手紙を書いて、証明していただき
教員に復帰しました。

そうこうしてる間に、おばあちゃんたちは富山の街に引っ越すことになりました。

ヒーお爺ちゃんの実家で弟が大工の頭領そして一緒に引き上げてきた
兵隊さん富山の人が大工さんだったそうで。

古い材木でお家を建ててくれたそうです。

そして八百屋さんのお店をやることにしました。
昭和22年おばあちゃんのお兄さんが
帰ってきました。

ロシアで捕虜になり殺されると思っていたら、
上等兵のお家に連れていかれそこの息子さんの
護衛係だったそうでする

ヒーお婆ちゃんの年の離れたお兄さんは「江田島の海軍兵学校を卒業して最後は
海軍大佐になったとのことです。

ネットに今も載ってます。

いきなりヒーお爺ちゃんのお父さんが連れてきて、
ヒーお婆ちゃんはうれしくてお店をしめて
みんなでお祝いしたそうです。

おばあちゃんが中学二年生の時もう一度家を建て直して
衣料品店に変わったそうです。

のちにお店は三軒ありました。

戦争のない平和な時代が続きますように。
私たちの時代もこれからもずーっと
願っています。