終戦の日あれから74年

太平洋戦争が終わって74年

ヒーお婆ちゃんとおばあちゃんから聞いた終戦の日、
満州では。。。

おばあちゃんが生まれたのは昭和14年
お父さんの仕事の都合で満州へ行って、
5歳の時に終戦を迎えたおばあちゃん。

あの日は天皇陛下から「無条件降伏」を知らされた日でした。

近所の人も集まってラジオを聞いていました。

「テレビはないんだー」

おばあちゃんも小さかったので、記憶も少ないのですが、
ひおばあちゃんに聞いたことと、幼いながら記憶に残ってることを
さゆりが聞いて書いていきます。

終戦からしばらくたつとロシアの兵隊さんが満州の街に
きたそうです。

女性は捕まるのですって。

そんなころヒーお爺ちゃんは、「ジャングイさん~」旦那さんという意味です。
けたたまして声で出てみると「今日本兵が銃を向けられていると」

ヒーお爺ちゃんは飛んでいきました
まさに命がけで話し合い17人の兵隊さんを助けてきました。

一番若い人は16歳だったそうです。

よく聞くと偶然に富山県の八尾町の人でした、
あと岡山、愛知和歌山、様々な県の人たちでした。

ひーおばあちゃんはひーおじいちゃんに一つだけ約束させたそうです。

おじいちゃん一人白米を食べていたのですが
大勢の若い人を引き取るには「あなたもあわご飯にしてくださいと。

そして旅館をやってたヒーお婆ちゃんとひーおじいちゃん、おばあちゃん、
おばあちゃんの妹、おばあちゃんのお姉さんはそころ小学校の先生をしてました。

おばあちゃんは小学学校に21年に小学校に入学しました。

目覚まし時計をもってお姉さんと毎日学校へ行きます。

学校は一年生も六年生も同じ教室だったようです。

そして兵隊さんたちは大きなお鍋で毎日、外でご飯を作ってたそうです。

満州ではひーおばあちゃんは、
旅館を営んでたそうです。

そうやって昭和21年夏雨の土砂降りの中
おばあちゃんの妹は兵隊さんにおんぶされて引き上げ船にのりました。

おばあちゃんのお兄さんは戦争に行ってまだいませんでした。

引き上げは一人1000円を赤ちゃんもみんな持つことができ
兵隊さんにも1000円ヒーお婆ちゃんが渡したそうです。

そしていよいよ引き上げ船にのりました。

ヒーお爺ちゃんは引き上げ船第13部隊長として3000人の
責任者だったそうです。

船の中ではひーおばあちゃんが
子供たちのおにぎりをみんなで作ったそうです。
おにぎりの大きさは大人も子供も同じ大きさに

そうすれば子供はおなか一杯になります。
でも船の中で病気になりなくなる人もいたそうです、埋葬も出来ず

海に毛布などにくるんで埋葬したそうです。

一か月ほどで、引き上げ戦は九州博多につきました。

すると「これら」が発症し20日上陸できなくなったそうです。

つづき
日本に帰ってきて

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